こんにちは、「真結(ゆい)」企画担当の浅田です。いつも真結の旅をご利用くださり、誠にありがとうございます。4月16日より『真結8』(夏号)が発売となり、お蔭様で毎日多数のお申込みをいただいております。今号も自信を持ってお薦めするこだわりのコースを取り揃えましたが、その中でも、私自身是非とも企画してみたかったコース『まり子の園長日記』について、少し触れてみたいと思います。
「ねむの木学園」との出逢い
「ねむの木学園」を初めて知ったのは私が就職活動をしていた頃のことです。将来、旅行か福祉関係の仕事に就けたらと漠然と考えていた時期、ふと目に留まった「ねむの木学園」の文字。女優・宮城まり子さんが、私財を投げ打って障害のある子どもたちの為の学園をつくり、その生涯を捧げている施設ということで福祉関係者の間では有名でしたが、当時は静岡県の浜岡砂丘に近い海辺の町にあり、こんな景色のいい場所で福祉の仕事ができたらな・・・と、束の間自分の将来を思い描いたこともありました。それからあっという間に年月が経ち、福祉とは無縁の仕事を続けてきて、ねむの木学園の文字は遠い記憶の彼方に過ぎ去って行きましたが、人と人との出逢いを大切にする「ゆい」の企画担当者となった今日、宮城まり子さんの生き方や優しさに触れる旅を企画し、こうして皆様にご紹介できることは、自分自身の喜びであり、不思議な縁を感じてしまいます。
宮城まり子さんとねむの木学園
改めて「ねむの木学園」を紹介しますと、当学園は1968年(昭和43年)、日本初の肢体不自由児療護施設として静岡県浜岡町に設立されました(のち1997年、掛川市へ移転)。身体の動きと知的発達の面で障害を持ち、かつ、親の死亡・離婚や虐待などで家庭環境に恵まれない子どもの為に、女優で歌手の宮城まり子さんによって設立された施設です。宮城さんは1964年に福祉先進国オランダやドイツなどを訪問し、障害を持った方が生き生きと仕事をしている姿に感銘を受けられたそう。ですが、その当時の日本は、身体が悪かったり家庭の環境が悪かったりした子は学校に行けなかった時代(就学猶予という法があった為)で、そんな時代に、宮城さんは私財を投げ打ってねむの木学園を設立されたとのことです。その後、学園敷地内に、子どもたちの絵を飾る「ねむの木こども美術館」や、宮城さんと生涯に渡り同居し事実上の伴侶だった故芥川賞作家・吉行淳之介氏の足跡を紹介する「吉行淳之介文学館」なども建てられました。
子どもたちの無限の可能性
今春、ツアーの企画にあたり、念願の「ねむの木学園」「ねむの木こども美術館」を初めて訪問させていただきました。宮城さんの言葉で、『子どもたちに、「絵はこう描きなさい」と言ってはいけないと思います。だって、子どもの感性が消えてしまいますもの』とあるように、ねむの木こども美術館に飾ってある絵は、どれも本当に独創的で素敵なものばかりです。特にその色使いは天才的!ですね。うまく言葉では表現できないのですが、「上手い」というより味がある、優しさが溢れている、といった感じでしょうか。また、ユニークなタイトルの作品も多く、200号ほどの大きなサイズの絵の中にびっしりと小さな花が書き込まれた作品のタイトルは「書くのに3年半もかかったからタイトル忘れちゃった」と書かれてあり、ユニークさと同時にその集中力にも驚かされました。
やさしくね、やさしくね、やさしいことはつよいのよ
美術館の作品を順に巡っていくと、ふとあることに気がつきました。それは、小さな子どもと母親を描いた作品がとても多いという点です。学園のほとんどの子どもたちは、知的障害で親もいないというあまりにも重たい不幸を背負っています。宮城さんはそんな子どもたちをまるで我が子のようにたっぷりと愛情を注いで育て、また子どもたちは宮城さんのことを「お母さん」と呼んで実の母のように慕っています。展示してある絵の一つひとつに、子どもたちの素直な心が映し出されているようで、美術館に滞在している間、心豊かなひとときを過ごすことができました。
宮城まり子さんの言葉に次のようなものがあります。
やさしくね
やさしくね
やさしいことはつよいのよ
その言葉の意味は、「人間は優しくできない時が多いの。それが当たり前。だけどそこを『エイ!』って優しくするのは、自分に勝つこと。だから優しいことは強いんです。」とありました。いい言葉ですね・・・。
宮城まり子さんがねむの木学園にどのような祈りを込めているのか、また子どもたちの生み出す絵の世界は私たちに何を語りかけているのか。このたびの真結の旅『まり子の園長日記』の中で、皆様一人ひとりが感じ取っていただければ幸いです。